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一人一人が相対的幸せを追求してると全体で不幸になる理由

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幸せって相対的なものだと思いますか?

絶対的なものだと思いますか?

 

ゼロガ丸です。

 

僕はどっちもあると思います。

 

捉え方というか、何を大事にするかによって変わります。

 

今の日本では幸せを相対的なものと捉えるのが主流だと思います。

 

けど、今の日本で相対的幸せを一人一人が追求してると、

結果的に全体で不幸になるんですよ。

 

それはどういうことか?

 

相対的幸せ・絶対的幸せ

 

相対的幸せは周りと比較した結果の幸せです。

「周りよりお金を持っている」「周りよりテストの点数がいい」など、

他人より優れている・他人に勝っていると実感できた時に得られる幸せです。

 

絶対的幸せは周りと関係ない自分にとっての幸せ。

人に喜ばれることで幸せを感じる人もいるでしょうし、一人で気ままに過ごすことに幸せを感じる人もいるでしょう。

周りから見たら全然羨ましくない場合もあり得ます。てか絶対的幸せは大体、他人からは理解されにくいものだと思います。

 

 

相対的幸せが不幸を生む仕組み

 

ではなぜ相対的幸せを追求すると結果的に全体では不幸になるのか?

 

幸せを相対的なものと捉えているとこうなります。

 

自分は現状維持で、周りが得をしたら、全体での幸福度は上がっています。

けれども、相対的にみると自分が不幸になったことになってしまいます。

実質は変わっていないのに。

 

周りより優れていると幸せで、周りより劣っていると不幸。

そういう価値観でいるとどうなるか?

 

みんな周りの不幸を願うようになる。

それは一人だけの話ではありません。

みんながみんな心の底で周りの不幸を願う。

「他人の不幸は蜜の味」です。

 

自分が現状維持でも周りが損をすれば相対的に自分は幸せになるんです。

けど実際は全体の幸福度は下がってる。

 

例えば、今でいうと仮想通貨投資でしょうか?

仮想通貨で大金をつかんだ人は仮想通貨投資をしてない人の一部から妬まれています。

仮想通貨の相場が暴落するとその人たちは大喜びしてます。

本人は何も損も得もしていないのに。

一部のひとで仮想通貨で儲けたことで、現状維持の自分が相対的に不幸になってしまったのです。

 

相対的幸せが前提になっている社会では、自分が幸せになるだけで他人を不幸にしてしまうのです。

 

なんて恐ろしい社会なんでしょう。

 

相対的幸せは進歩・発展の原動力か?

 

相対的幸せは競争の原動力で、競争があるから今の発展がある。

そう言ってくる人もいるでしょう。

 

うるせー!

 

確かにそういう面もあるでしょう。

 

けどこの考え方が正しいのか?本当に有効なのか?

 

僕には疑問です。

 

そもそもその因果関係は本当に正しいのか?

仮に正しいとしても、今の時代やこれからの時代でも当てはまるって言えるのか?

 

確かに、競争は人や組織の成長・発展に有効ではあると思います。

 

けど、そのためには適切なゴールが設定されて、ルールが整ってなきゃだめで。

なにより当事者の意欲がなきゃ成り立たないんですよ。

 

強制的にやりたくもない競争をさせられて成果が出るはずないんですよ。

 

競争は本人のやる気や意志が何より重要なんです。

 

やる気を高めるには興味のあること、好きなこと、やりたいことをやるしかない。

その先にあるのは僕の私の幸せであって、絶対的幸せなんですよ!

 

僕は正社員すらやめてしまいましたが、会社員の友人と話してても、

結局興味ないことは頑張れないよねってなります。

 

相対的幸せでも問題がない場合

 

相対的幸せでも問題がない社会もあります。

 

格差のない平等な社会と閉じた社会です。

格差のない社会では、みんな同じような生活なので相対的幸せでも問題ない

閉じた社会とは、他人の情報が簡単に手に入らない社会です。

その場合、相手が自分よりいい暮らしをしてても、それを知ることがないので、周りと比較して自分が不幸になることはないです。

 

つまり、IT革命以前もっと言えば、産業革命以前の村社会では相対的幸せでも問題なかったわけですね。

てか、選択肢が少ないから相対的幸せも絶対的幸せも多分大差なかった。

 

 

今の日本と相対的幸せ

 

今は選択肢が多様にあり、一人一人の絶対的幸せは多種多様です。

 

しかも、どう考えても今の日本は格差社会

非正規雇用の僕と、大企業で役員を務めている人とでは収入や暮らしぶりに引くほどの格差があります。

そのうえ、ネットやSNSでそういった勝ち組の豪勢な生活ぶりを簡単に見れてしまう。

 

相対的幸せを追求するには最悪の環境です。

 

・自分よりいい生活をしている人が大勢存在し、

・ネットやSNSを通じ、その人たちの優雅な暮らしぶりが簡単に知れてしまう。

 

こんな環境で他人と比較した幸せを求めていたら、

簡単に不幸になれてしまいます。

 

今なんて仮想通貨で大儲けした人が続出してます。

 

ということは仮想通貨を買わずに儲けられなかった人は、もれなく相対的に不幸になったということを意味します。

 

それが妬みになり、蓄積されてやがて恨みになり、抑えきれなくなると周りに攻撃するようになる。

 

それは決してその人が弱いわけではありません。

 

人間なんてそんなもんです。

 

時代や環境にあった考え方というのは絶対にあります。

相対的幸せは今の時代に合っていないのです。

 

簡単に幸せになる方法

 

最も簡単に相対的幸せになる方法ってなんだと思いますか?

 

それは人を貶めることです。

 

周りが不幸になれば相対的に自分は幸せになれるんです。

 

どうです?

簡単でしょ?

 

自分で幸せを勝ち取るのは大変です。

 

努力もしなきゃならないし、時間もかかります。

しかも、努力が報われるとは限らない。

 

合理的じゃないですね。

 

だったら、他人を貶めて不幸になってもらう方がよっぽど簡単で合理的です。

 

人を不幸にする、攻撃の武器としてもネットやSNSは大活躍します。

 

今の日本で相対的に幸せになる最も効率的な方法は他人を不幸にすることです。

 

成功者を妬み陰から攻撃をしている人達。

一見負け犬そのもののようですが、意外と賢い方法をとっていると言えます。

 

今の日本で相対的幸せを欲するのなら。

 

 

まとめ

 

相対的幸せで問題がないのは「平等な社会」か「閉ざされた社会」だけです。

 

「格差があり」「情報が開かれた」現代の日本では、

相対的幸せは最悪な考え方です。

 

自分が変わらずに他人が得をしたら相対的に自分が不幸になってしまう。

全体での幸福度は上がっているのに。

 

しかも、自分が努力するより他人を貶める方がはるかに簡単で確実に幸せになれる。

 

相対的幸せは現代日本で最も凶悪な思想と言えます。

 

 

以上。

一人一人が相対的幸せを追求してると結果的に全体で不幸になる理由を書いてきました。

 

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