ゼロがマルになる

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あなたは自分が好き?嫌い?ボロボロになるくらいなら自己肯定感なんて捨てちまえ。

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自意識の墓場

 

最近Twitterを見ていてふと思い浮かんだ言葉だ。

 

傷ついてボロボロになった自意識の亡骸が放置されている。

 

なんだかそんな風に見えた。

 

墓場というより戦場跡?

 

まあいいや。

 

今回のテーマは自己肯定感。

 

自己肯定感ってすごく扱いづらい。

 

低すぎても辛いし、高すぎても良くない。

 

そんなら自己肯定感なんか捨てちゃえばって話。

 

自己肯定感は高ければいい。

 

そう思っている時期が僕にもありました。

 

けどそうじゃない。

 

歪な自己肯定感は他者を激しく攻撃する

 

それを気づかせてくれたのは、炎上系インフルエンサーの方々です。

 

彼らは自信満々に他者を否定し攻撃する。

そこに罪悪感はないでしょう。

 

「自分は何も間違っていない。文句を言ってくるやつは勝手に傷ついてるだけ。」

 

これが彼らの基本スタンス。(だと僕は認識してます。)

 

過度な自己肯定感は傲慢を生み、肥大した傲慢が燃え上がって他者を焼き尽くす。

 

そして自意識の消し炭がツイッタランドに溢れる。

 

自己肯定感が高い人は他人を弱者と切り捨てて、平気で攻撃する。

自己肯定感を高め、そして守るために他者の自意識を焼き尽くす。

 

そういう人は声が大きいので、非常に厄介ですね。

今のSNS社会はそういう人に有利な気がして、あまりよろしくないなと思っています。

 

自己否定は自分を傷つけ、嫉妬や怒りを生む

 

自己肯定感が高すぎるとサイコパスに近くから危険だけど、低すぎるのも危険。

 

自己肯定感が低くても人を傷つける。

 

自己肯定感が高い人は他者を傷つけるけど、自己肯定感が低い人は自分も傷つける。

 

ていうか自己肯定感が低いと、そもそも傷つきやすい。

ちょっとしたことで自分を責めちゃう。

 

傷ついた自意識や自尊心は、やがて嫉妬や怒りを生む。

そして嫉妬や怒りが他者を傷つける。

 

これもツイッタランドでよく見かける。

Twitterは匿名で拡散性があるから、見ていてすごく悲惨。

 

ディストピアって感じがする。

 

前向きさと危機感のいい塩梅

 

僕が尊敬している人や長い間活躍を続けている人を見ていると、

自己肯定と自己否定のバランス感覚が半端じゃなくいいなと感じる。

 

理想的なメンタリティとでも言うのかな。

 

「前向きさ」と「危機感」

 

この二つは何かを成し遂げるために必要不可欠だと思ってるんだけど、

うまくバランスを取るのが難しい。

 

というか、現状うまくいってない。

 

自己肯定感?何それ美味しいの?

 

「前向きさ」と「危機感」のバランスを取ることに苦戦してたら、元号が令和に変わった。

 

で、最近になって気づいたんだけど、自己肯定感が薄れてきてる。

 かと言って自己否定をしているわけでもない。

 

ただ、自分を受け入れてる。

 

自己肯定と自己否定のバランスで苦心してたのに、

気がついたら自己肯定と自己否定そのものが自分の中からなくなってきてた。

 

ありのままってやつですね。

 

そしたら傲慢さや嫉妬、怒りっていう攻撃的な成分も自分の中から減ってきた。

というか自己生成を過剰にしなくなったという感じ。

 

僕の中のプライドとエンヴィとラースが勢力を弱めた。

 

今の自分の精神状態がベストだなんて思わないし、参考にしろだなんて思ってない。

 

ただ、結構今の精神状態は安定してるなって自分では感じてる。

 

悩んでいる方の参考に少しでもなれば嬉しいです。

 

くじけるな!